真夏のまっさら
本日からまた、ブログの更新を細々と再開していこうと思います。
(情けないことに宣言してもできないことが多いので、軽く聞き流していただければ幸いです)
今回の手術で、生を強く意識しました。
何もしなくとも終わりはやってくるし、何かを成し遂げても終わるときは終わるのです。
明日やろうで何事もなく明日が来るのが常だとしても、いつか明日が来ない日が来るかもしれません。
そこに人がいれば尚更。
次、私が生きていても、次、あなたがいないかもしれない。
心が離れているかもしれない。
離れるだけならまだいいけれど、この世界にいないかもしれない。
今できることを、できるうちに、できるだけ。
それができるということが所謂「幸せ」なのかもしれません。
特に理由はないけれど、動きたくない日もあります。
何かをすることが面倒な日もあります。
最後だとわかっていればこんなことはしなかったのにと思うことも、明日が来るからしてしまう。
今回幸いなことに私はまだ息をしているけれど、絵を描くにはまだ少し身体が億劫です。
描かないのではなく、描けない今思うのは、描ける時になぜ描かなかったのか。
今まで描けないと思っていたのは、描けないのではなく描かなかったのだということ。
術後について、問題さえ起きなければそのあとは軽く考えていた節がありました。
なので、キャリーケースには絵描き道具をぎっしり詰め込んでいったのですが、最後まで取り出すことはありませんでした。
頑張っても描けない、描きたいものがあるのに描けない。こんな焦れったい想いに、描けなくなってから気付くのが人間らしいなと思います。
一週間くらいしたら普段の生活に戻っていいとのことだったので、お盆休みを利用して日程を組みました。有給を4日使って7日〜10日、そして本日11〜16日までお休みです。
いつぞやは「大人の夏休みだー」とワクワクしながら色々なところに行って遊びまくっておりましたが、今年はこのクーラーのない部屋で夏の暑さと蝉の声に包まれながら自分を見つめ直す期間になりそうです。
つらくはないよ!
目が見えるって素晴らしい。
目が見えるなら、手が動くのなら、頭がしっかり働くのなら、私は絵が描けるのだから!!
ゆっくり休んで、まっさらになって、また画面越しに会いましょう。
思いを言葉に、思いを形に。
なかなか形にできない分、これからは言葉でも伝えていくから。
それこそ、今度は前向きなさようなら。
毎日まいにちの私からさようなら。
これから何度もなんども繰り返そう。
おはようとおやすみのように。
いついなくなっても大丈夫なように。
これからもよろしくお願いいたします。